村社 關山神社

全く異なる事を検索していたら偶然にこんな情報に接することができました。

国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている「参河国額田郡神社誌」の関山神社についての記録です。(明治時代の書籍をスキャニングしてあります。誤字と思われるところ、旧漢字も有るのですが、できるだけ忠実にタイピングしてみました。)

村社 關山神社

一、鎮座地

藤川村大字藤川字王子ケ入十三番地

一、祭神

天手力雄命 須佐之男命 仁徳天皇

一、由来

往古は赤山大明神と伝えり。創立年代詳らかならずと雖も、口碑に寛永年間藤川村城主内藤彌次右エ門家長信仰淺からずして、本殿を再建し、兩覆を建立せり。現在の雨覆は即ちこれなりと傳ふ。元文四年藤川惣代子に依り、社頭の大改修を行ひたり。文化六年八月十六日別當秀盛房代、惣氏子問屋大西三太夫、同鈴木勘右エ門、名主野村七郎右エ門等に依り、本社の修造を行ひたり。天保九年四月問屋鈴木嘉市、同石田新助、名主平岡文左衛門、同鬼頭清右エ門、組頭大西三太夫、同塚本幸蔵、惣氏子に依り、雨覆並に本殿の大改修を行ひたり。其後、關山大明神と奉稱したり。弘化二年九月二十五日問屋鈴木勘右エ門、同平岡傳之助、名主中村四朗左エ門、同淺岡與右エ門、組頭塚本幸蔵、同平岡安左エ門、並に惣氏子等の願主に依り、本殿を再建御遷座を行ひたり。現今の本殿これなり。明治元年關山神社と改められる。

明治五年十月十二日村社に列せられ、明治四十年十月二十六日新䬻幣帛料供進の神社に指定せらる。(祭伸須左之男命、由緒文政十三年六月十三日問屋森川久左工門、年寄大西喜太夫、庄屋野村七郎等信願に依りて勸請。)字一里山南、無格社若宮八幡社(祭伸仁徳天皇)を合祀す。明治四十四年九月二十八日副殿、幣殿、渡り殿、拜殿を新築す。本神社は特殊の構造を有す。則ち本殿(正殿)雨覆及境内神社神明社、秋葉社の二社、及び鳥居壹基は字王子ケ入山の頂上に在り、副殿、幣殿、渡り殿、拜殿、社務所、物置、幟竿屋、鳥居壹基は山麓の登り口に在り。其の距離約四丁半に及び、大祭毎に正殿より副殿に御靈代遷座の上祭典を行ひつゝあり。

一、建物

本殿 竪 四尺五寸 横 六尺五寸 流造 二間社向拜付 柿葺

雨覆 竪 三間 横 二間三尺 破風造 瓦葺

副殿 竪 三尺 横 一間 板葺

雨覆兼幣殿 竪 二間四尺 横 二間 大破風造 瓦葺

渡殿 竪 三間 横 1間四尺 妻造 〃

拜殿 竪 二間三尺 横 四間 入母屋造 〃

社務所 竪 二間 横 五間二尺 破風造 〃

物置 竪 二間 横 四間 〃平屋 〃

幟竿屋 竪 四尺 横 九間 長屋形造 〃

宅地 二百三十九坪

 十九歩

山林 八反二畝歩

原野 二畝十歩

基本金 五百圓

棟札

天中天迦陵頻迦聲 元文四巳未年
導師 瀧山寺密厳院法印権大僧都亮因
奉修造赤山大明神社頭 藤川惣氏子繁盛祈修
哀愍衆生者我等今敬禮二月十九日
尾州知多郡山田庄大井村 工匠 山本善八郎藤原昌豊


一中泰平國土安穏
聖主天中天迦陵頻伽聲

奉修覆赤山大明神御本殿 大先達明星院明元法師
哀愍衆生者我等今敬來
五穀成就萬民法樂

中町
問屋 鈴木喜市
名主 平岡文左エ門
組頭 大西三太夫
當百姓代 伊藤惣太郎
年行司  伸次郎 安左エ門

西町
問屋 石田新助
名主 鬼頭清右エ門
組頭 塚本幸蔵
年行司 八右エ門 利蔵 勘三郎

惣氏子


天保九龍次戌四月吉辰
奉 遷 座 者 也
参河國額田郡藤川驛中

大工 當所
喜代七 東三郎 傅治郎 宗左衛門


弘化二乙巳載
一天泰平國土静謐
大別當大先達明星院直静

奉再建赤山大明神御本殿鎮座安静祈所
五穀
成就衆人快樂
九月二十五日

大工棟梁 當所中町
高橋傅治郎藤原孝次


願主惣氏子

問屋 鈴木勘右エ門
同  平岡傳之助
名主 中村四朗左エ門
同  淺岡與右エ門

年寄 倉橋兵次郎
年寄・組頭 塚本幸蔵
組頭 平岡安左エ門
百姓代 大西三太夫


聖主天仲天 伽陵受加聲 法主大先達明星院明元洗師
奉遷座天照豊受神宮御社一宇
愛愍衆生者 我等今敬來

大工 當國羽栗住
長坂市三郎


庚寅

千時文政十三
十一月廿日
両町惣氏子中

問屋 淺岡與右エ門 森川久左エ門
庄屋 野村七治郎 渡邊勸右エ門
組頭 大西喜太夫 石田新助

年行司 兒島彌助 石川伊八
年行司西 外村傳兵衛 林佐吉 近藤權之助


日月清明實暦六丙子歳 町内安全 福徳自在
大工當中町 石川伊三郎
同所西町 赤川新兵衛 藤原吉重

奉建立拜殿正一位秋葉大權現 別當大先達明星院法印玄整
施主中町 名主 問屋 林與惣右エ門
組頭 林
施主西町 同 淺岡與右エ門


天下泰平國土安穏
大工 桑谷村住棟梁福尾千代作 大西村之住 杉浦重四朗
奉再建秋葉大權現御本社 宿中火災消除修
五穀成就象人快樂         別當明星院眞靜


維時嘉永三戌八月一日
奉移從者也
三州額田郡藤川宿
赤山末社御鎭座

問屋 鈴木勘右エ門 中村四朗左エ門
名主 淺岡與右エ門 平岡安左エ門
年寄 大西善太夫
組頭 石田新助

年寄 鈴木嘉兵衛
見習 平岡源左エ門
年行司 甬谷又兵衛 橋本屋利吉
年行司 伊勢屋專次郎 坂口屋吉左エ門


關山神社(特種神事神輿)この資料が編纂された時代の「御神輿」です。

立派な御神輿があったんですね!

奥の宮には、三棟が立っていますから、三柱別々の御神輿という事なのかもしれません。

由来の初めにあるように「創立年代詳らかならずと雖も」と有る通り、「寛永年間藤川村城主内藤彌次右工門家長」により本殿の再建などがあったが、それ以前から「赤山大明神」として、この地に祀られていたことは確かなようです。

今回はタイピングだけで少し疲れましたので、今後少しづつ改めて取り上げていきたいと思います。

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