東海道藤川宿は、品川宿から数えて第三十七番目の宿場町でした。
藤川宿は、慶長六年(1601)に伝馬朱印状が発給されて宿場町になりました。
しかし、当時の藤川宿の規模は小さかったので、宿場発足早々から加宿村が求められていて、慶安元年(1648)に山中郷の市場村六十八戸を藤川宿の東に移転させて、加宿市場村が出来上がり、藤川宿の宿場町としての体裁が整いました。
天保十四年(1843)の記録(『宿村大概帳』)によると、家並み九町二十間(約1.02キロメートル)、戸数三〇二、本陣、脇本陣各一、問屋場一、旅籠屋三六(大七、中一六、小一三)、宿内人別一二一三人であったとあります。
■藤川宿に関わる文化財(岡崎市指定)は下記の通りです。
- 藤川宿駒引朱印状(慶長六年)
- 藤川脇本陣跡(現資料館)
- 宿場「高札」六枚(正徳元年)
- 懸仏「蔵王権現浮彫」(明星院蔵)
- 巻軸「那智山参詣曼荼羅」(明星院蔵)
- 藤川のまつ並木(天然記念物)
- 牛乗山第三紀波蝕巨礫群(天然記念物)
藤川学区社会教育委員会・藤川宿資料館管理委員会作成の資料に拠ります。
藤川という地名の由来を調べたことがあります。
藤川は、かつて宇治川といっていたのを藤の花が見事なことにより藤川と改めたという故事があり
ひるつかたにふじ川のしゅくにいたる。
時しもあれ藤のはなさかりなれば、いろふかくうつれるかけを
みやち山はなのなみよるふじ川のさと
と、元禄12年刊行の『武蔵野路草』(著:僧法源)に載っていました。
##残念な事に、この出展元『武蔵野路艸(むさしのみちくさ)』を何で見たのかが記憶からなくなっています。ご存知の方いらっしゃいませんか?!
##東京都立図書館に「[特0786] 武藏野路艸(むさしのみちくさ) 2卷 〔釋法源〕∥著 元祿12刊」と記載が有りますので、ここには蔵書されているのだと思います。