芭蕉句碑は西棒鼻の西、十王堂の境内に建っています。
その句碑には

爰も三河むらさき麦のかきつはた
「ここも三河 むらさき麦の かきつばた」

と詠まれています。

麦は江戸時代に栽培されていたことは、いろいろな書物から知られていましたが、いつしか作られなくなり、幻の麦となっていました。

それを平成六年にやっと念願がかない、藤川の地に再現することができました。
毎年、五月中旬から下旬にかけて趣のある色合いを楽しませてくれます。

藤川学区社会教育委員会・藤川宿資料館管理委員会作成の資料に拠ります。

ここに掲載させていただきました俳句は、平成8年7月、歴史国道選定記念して「むらさき麦」の句を募集した時の入選句です。
主催:藤川宿まちづくり研究会  藤川学区社会教育委員会
選者:松籟俳句同人会会長   糟谷 正孝先生

敬称略・五十音順で掲載させていただきました。

岡崎市の部
穂なみたちゆかりぞあゆむ歴史道浅井 幸雄
むらさきと云うむやび名の麦の秋伊与田 三千代
紫の色もつ麦の穂波かな大須賀 久美子
むらさきの風を宿場の麦穂かな荻野 京子
むらさきに昏れて藤川麦の秋大原 登美子
翁径辿りむらさき麦に逢う大原 良江
蘇へるむらさき麦の旅籠宿大村 フサエ
宿場絵図掲げむらさき麦熟るる大村 菅水
翁詠むむらさき麦のいま熟れる荻野 昌巳
棒鼻やむらさき麦の陽の匂ひ荻野 富義
紫麦幻ならず芭蕉句碑木俣 アヤ子
棒鼻をむらさき麦の風通る近藤 美穂子
藤川の風もむらさき麦熟るる小嶋 正夫
百年の史に紫麦熟す榊原 みよ子
校門をくぐる紫麦の風坂部 龍
むらさき麦の時期知る道しるべ佐藤 明美
むらさき麦熟れて宿場の寂かなり杉浦 秀子
つる屋銭屋むらさき麦の熟るゝ町杉浦 蒼翠
老の目にむらさき麦の色眩し千賀 隆隈
わが庭のむらさき麦に会う日課富田 孝次
出揃ひし麦の穂波や村の駅富田 和男
帰り道穂波の中のかくれんぼ富田 幸代
むらさき麦をはべらせはせをの碑中山 美千代
宿場人丹精こめて古代麦中山 明子
歴史街道祝ぎて麦はむらさきに中山 昭
ほめてゆく人やむらさき麦の風成瀬 せつ
地を焦がす事なくむらさき麦熟るる成瀬 ユキエ
揺れてゐるむらさき麦の風甘し永田 サカノ
熟れ麦や古代紫そのまゝに西山 幹子
弥次喜多もわらじ止めたか紫の麦野田 正夫
語り草伝へ紫麦熟るる野村 範
歴史みちむらさき麦の香もありて林 義一
俳諧の灯を守りむらさき麦肥す早川 紫穂
由緒説くむらさき麦や無人駅本田 保子
宿場町風紫に麦の秋本多 八重子
むらさきのいろは匂へど麦の秋松田 タイ
麦は穂にむらさきと云ふ名の愛し三浦 葵水
むらさきに藤川宿の麦日和宗形 洋子
むらさき麦むかし廓の浅庇山本 幸子
蘇るむらさき麦や翁みち山本 白雲
風立ちぬむらさき麦の仄あかり矢田 一子
紫の麦守る里へこぼれ鷺渡辺 尚三
三河の部
熟したるむらさき麦の雀網高 浜石川 ひでを
むらさきの麦や紅屋の格子錆ぶ安 城金田 義子
むらさき麦鳶は天女の笛を吹く蒲 郡神谷 ユリ子
むらさき麦見に久方の雨に会ふ高 浜小林 光枝
夕暮れのむらさきの穂が鐘にゆれ額 田中根 敏明
紫麦を軒に実らす宿場町額 田早川 千浪
芭蕉句に紫麦の風を聴く西 尾深見 幸子
翁碑にむらさき麦の風寧し蒲 郡渡辺 みつ子
駅降りてむらさき麦に案内さる安 城礼子
尾張の部
松並木過ればむらさき麦の里東 海稲田 澄子
平成に育ててむらさき麦の街瀬 戸加藤 あつ子
賜はりしむらさき麦の一と穂かな名古屋近藤 里美
棒鼻に紫麦の雨繊し名古屋田辺 満穂
網掛けて紫麦の見本畑名古屋武田 治政
俳聖の踏跡確と紫穂の麦師 勝早川 陽雪
黒ん坊とならず紫穂を競ふ半 田矢浦 正治郎
県外の部
洗いざらしの野良着干しあり高野麦恵 那小池 昭
乗るる穂も立つ穂もむらさき麦の秋御 嵩横井 英和