市川染五郎の陰陽師そして赤山大明神
7月10日の記事で「陰陽師」のTVドラマ版が新たに予定されていることを書きましたが、放送日時が決まったようですね。
9月13日(日)午後9時からの放映で、主演:安倍晴明には「市川染五郎」さん。そして晴明の相棒役、源博雅には「堂本光一」さんという配役です。
ここには放映時間の記載が無いのですが、おそらく2時間くらいの尺だと思います。
狂言師である「野村萬斎」さんが晴明役をされていた映画は、興味深く見ていたのですが、「市川染五郎」さんも注目している役者さん(歌舞伎役者)なので、大きな期待を寄せています。
NHKで放映されたBS時代劇 『妻は、くノ一』での雙星彦馬(ふたぼしひこま)は、とても強く印象に残りました。
あの雙星彦馬が、どんな安倍晴明になるのか?という興味も有りますが、野村萬斎さんとの違いなども興味津々です。
さて、ドラマ自体の事はこれくらいにして、陰陽道の祖神とされる中国の神「泰山府君」が、藤川の鎮守である関山神社の元の祭神「赤山大明神」であることは前の記事でも書きました。
実は藤川の西の棒鼻の近くにある十王堂に祀られる「太山王(たいざんおう」が、この「泰山府君」らしいのです。
十王堂というのは、地蔵菩薩・閻魔大王を中心として、人が死後に赴く世界を決める(裁く)十の神様がお祀りされている御堂なのですが、その中で「太山王」は、冥府第七番目の王で、七七日(なななぬか)を担当すると言われます。
因みに死後、七日七日で行われる法要に夫々対応付けられていて、
初七日・秦広王(しんこうおう):本地は不動明王
二七日・初江王(しょこうおう):本地は釈迦如来
三七日・宋帝王(そうていおう):本地は文殊菩薩
四七日・五官王(ごかんおう):本地は普賢菩薩
五七日・閻魔王(えんまおう):本地は地蔵菩薩
六七日・変成王(へんじょうおう):本地は弥勒菩薩
七七日・太山王(たいさんおう):本地は薬師如来
百か日・平等王(びょうどうおう):本地は観世音菩薩
一周忌・都市王(としおう):本地は大勢至菩薩
三周忌・五道転輪王(ごどうてんりんおう):本地は阿弥陀如来
となっています。
この写真は「藤川宿場まつり」の際に十王堂の引き戸が開けられ御開帳になっていたので、撮影させていただいたものです。
お地蔵さまはすぐに分かると思いますが、このお地蔵さまから向かって左へ二体目が「太山王」だという事です。
宗派によって異なりますが、五七日法要か、七七日法要の後に「納骨」が行われますが、「太山王」によって死後に赴く世界が決まるので、これで「忌明け(いみあけ)」となるとされます。
五七日法要の「閻魔王」は、地獄の総王とも言われるので、この日をもって納骨するお寺さんも有るのでしょうね。
藤川では「十王堂」で親しまれるているのですが、正式には「成就院十王寺」というようです。
寺の什物「釈迦涅槃図」の巻軸の裏書には
「嘉永七寅歳十月佛歓喜日 画工 有幸
開眼大導師称名寺 上人
三州藤川宿一里山
成就院十王寺 当什物」
とあるそうです。この涅槃図も拝ませていただきたいものですね。
十王寺の本尊は阿弥陀如来ですが、同寺内には厨子に入った「不動明王立像」も安置してあり、その台座裏には
「南谷 正宣院
元禄元年戊辰天十二月吉日求之 法印阿闍梨秀士」
と記されているそうです。
現在の称名寺は「浄土宗」のお寺さんですが、昔は「天台宗」だったと聞いています。
上記に釈迦涅槃図での嘉永年間は、江戸末期ですが、ここでの「称名寺 上人」という書き方は、天台宗とも浄土宗とも明確にはできませんが、不動明王立像の元禄時代には、明らかに天台宗だったのでしょうね。(不動明王は、密教の仏様ですから)
また「南谷」というのも、天台宗比叡山に「南谷」という地名(修行場)が今でもありますから、「阿闍梨」という記載と共に天台密教のお寺だったことが窺えます。
赤山大明神を勧請した京都の赤山禅院は、天台密教の有名な修行である千日回峰行でも「赤山苦行」と言われる大事な修行場でもありますし、そこに縁の深い「赤山大明神・泰山府君=太山王」が祀られていることからも、ご縁の深いお寺なのかもしれません。(浄土宗を開かれた法然上人も比叡山で修行された方なので、天台宗から浄土宗に改宗されたことは、それほど不思議ではないと考えます)
前の記事で、赤山大明神の勧請に、藤川城主だった内藤家長が関係しているかもしれないと書きましたが、この十王堂は、江戸時代中期の元禄(1688~1704)時代に建立らしいので、その頃には「赤山大明神」が既に藤川の鎮守として祀られていたのかもしれませんね。