今日は神君:家康公の誕生日
今日は江戸幕府を開き、戦国時代を終わらせ平和な時代(江戸時代)を築いた徳川家康公の誕生日です。
この間、最終回を迎えたNHK大河ドラマ「真田丸」では、内野家康が味を出していましたが、家康公自身には本当に天下を取るという野心は、ずいぶん年を取ってからなんだろうと思っています。
桶狭間の戦いで人質生活からは抜け出したものの、岡崎城に入ることもできず、大樹寺で自害しようとした程なのですから、この頃は「天下」などは思いもしなかったのでしょうね。
それは天下分け目の関ヶ原でも、「これで天下を取れる!」などという自信は未だ無かったのかもしれません。ただ、この時、二代将軍となった秀忠が、真田との戦いで結局は関ヶ原の決戦に間に合わなかったと言われますが、もしかしたらこれ、家康の策略かもしれないですよね。
真田昌幸の策略により手間取った(釘づけにされた)のではなく、もしかしたら、万が一、関ヶ原で家康が命を落とす事になっても、秀忠を生かしておけば徳川家はつぶれなくて済むという、そうした思惑があったとしたら、「天下取り」をおぼろげながらも思い描いていたのかもしれません。
二代将軍の秀忠って「真田丸」では星野源さんが少しばかりプレッシャーを受けながら、徳川家の二代目として頑張ってる姿が描かれましたが、そんなに気張る必要が無い立場だったと思うし、二代将軍としての履歴を見ても、凡庸な人ではなかったように感じます。まぁ、家康(父親)に遠慮しなくちゃいけない事情はあるから、なかなか本領を発揮するのは難しくって、家康没後の行動の事ですが・・・。
秀忠と徳川御三家(水戸・尾張・紀州)との関係って、すごく微妙ですから、そうした条件下で江戸時代の平和な時代を築いたという点で、秀忠さんもりっぱな将軍だったと思います。星野秀忠が演じた「ちょっと頼りない」武将ではなかったと思う。
ところで誕生日の件ですが、本当は旧暦での十二月二十六日で、今の暦だと1月31日になるらしい。岡崎市のウェブサイトには、生誕祭としてのイベントの記事はあるが、パッと見て今年が生誕何年なのかもわからない。(西暦1543年らしいので、473年?)
岡崎市のウェブサイトを作ってる人たちにも、もう少しこうした情報を発信してくれたらと「お願い」したいと思います。<(_ _)>