徳性寺今昔
そんな中、用事で藤川郵便局に行ってきたのですが、帰りに徳性寺のお堂が目に入り、そういえばこのお寺は、昔とはずいぶん環境が変わったんだなぁと思い出したので、写真を撮ってきました。
この写真は、国道一号線の南側から撮影したのですが、何か不思議な感じがしませんか?
そうです!
楼門・鳥居のすぐ前を国道一号線が通っているのです。
昔は、ここに旧街道が通っていたのでしょうね。でなければ、この構図は余りにもおかしいです(^_^;)
実はこの国道一号線の南側には名鉄電車が走っており、現在の旧東海道からは、こんな具合に見えます。
名鉄の踏切が有って、その向こうには山綱川が流れ、その向こうに国道一号線、そして徳性寺になっています。
徳性寺にお参りしようと思っても、まっすぐには入れないわけです。
昔はどんな感じだったかといいますと
鳥居は見えませんが、本堂と楼門は、はっきりと映っていますから違いがよく分かると思います。
上の写真と比べてもらうと、ほぼ同じ場所から撮影されていることが分かると思います。
もう少しアップで撮影された写真がこちらです。
これを見ると楼門以外の所には石垣が有って塀が張り巡らされているようです。
山綱川に架かる橋も見えますが、小さな橋で当時の山綱川は、それほど大きな流れではなかったようにも見えます。
和服姿のご婦人と三人の子供たち。田んぼの中にポツンとあった風情がほのぼのとしていますね。
電柱らしきものが映っていますから、すでに電気は通っていたのでしょう。
この徳性寺、江戸時代にあった藤川宿の火事と縁起が有り、寛文申年(1668)、正徳四年(1714)、享保(1716~1736)と何度も有った藤川宿の大火の時、一匹の狐が「つるべ」をくわえて鳴き叫びながら家々の屋根を飛び回り、徳性寺の裏山に消えたという話が残っています。
「つるべ」とは井戸水を汲み上げる桶の事で、この狐が火事を予知して人々に教えてくれたのだと信じられ、徳性寺の裏山に祠を建てて、神のお使いとして稲荷神(茶枳尼天・だきにてん)を祀りました。今は、「藤川稲荷」とか「徳性寺稲荷」と呼ばれています。
藤川宿まちづくり協議会編纂の「藤川宿 散策のしおり」によると、この稲荷神のお姿は「口に珠をくわえた狐に乗って、髪をみずらに結んだ柔和な顔をした陶製の人間像」であるといいます。みずら、とは髪を耳のあたりで輪にしたもので、古事記などに出てくる古代の日本人の髪型ですね。
※古い写真は「岡崎いいとこ風景ブログ」から拝借させていただきました。
2018-12-25 藤川稲荷ご神体の写真が見つかりましたので掲載させていただきます。
上記の説明通り「口に珠をくわえた狐に乗って、髪をみずらに結んだ柔和な顔」です。
いつ頃撮影されたものか不明なのですが、地元に住んでいる者でも初見でしたので、本当に貴重な写真だと思います。
お顔立ちがふっくらとしているところからして、まだ若い(?)神様なのかな?
徳性寺
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