本陣跡の石垣
石垣の上面が街道の高さになるわけですが、北側から見ると結構高いのが分かります。
本陣というのは大名が宿泊するわけですから、太平の世だと言っても一応は敵からの襲撃を想定しなくてはいけないのでしょうね。
これなら簡単に攻め込まれないでしょうから、武士としては当たり前の心構えなんでしょうね。
この石垣の上が「本陣ひろば」で、その後ろに見えるちっちゃな山が「薬師山」です。
いまは祠だけになっているようですが、昔は薬師如来が祀られていたそうです。この薬師如来は、いまは称名寺で祀られています。
このお薬師さんに参詣するのに、昔は街道からの参詣口が有ったそうなのですが、それがどこかは定かではありません。この本陣前に有ったのか、それとも写真の少し右側に南に向かって道路が有るのですが、その道沿いからだったのかもしれません。
この道路は今は「藤川台」につながるのですが、藤川台ができる前には荷車が漸く通れるくらいの道幅しかありませんでした。(そのためにセコという呼び名です)
そのセコから薬師山に登る道が今でもあるのですが、江戸時代から有ったのかどうかは分かりません。
4~50年前には、ここに柿の木が並んで植えてあって、秋になると登っておやつ代わりに食べていたものです。(藤川台への拡張で道幅が広くなると同時に、この柿の木も無くなってしまいました。)
それにしても、この石垣。今どきのものとは違い、大きさも形もばらばらで、このような石垣にするには相当高度なノウハウが有ったのでしょうね。今でも崩れずにあるという事は、構造がしっかりしているという事で、昔の人はすごいもんだなぁとしみじみと思います。