ひょんなことから「忘れられた日本人」(宮本常一著)という民俗学の本を読むことになった。

その中で、聞いて知っている言葉ではあったが、「芸は身を助ける」という意味を初めて文字として読んで、「なるほど」と思うと同時に、宿場町であった「藤川」にも、こうした人たちは数多く宿泊したのだろうと想像して楽しくなった。

その一文は、このように書かれています。

—–

その頃まで芸人たちは船賃はただであった。そのかわり船の中で芸を見せなければならなかった。昔は遊芸の徒の放浪は実に多かった。それは船がすべてただ乗りできた上に、木賃宿もたいていはただでとめたからである。だからいたって気らくであって、いわゆる食いつめる事はなかったし、また多少の遊芸の心得があれば、食いつめたら芸人になればよかった。だから「芸は身を助ける」と言われた。芸さえ知っておれば餓える事もおいてけぼりにされる事もなかった。

忘れられた日本人 宮本常一著(岩波書店) 世間師(一)より

——-

これは日清戦争の後あたりの話らしい。

この芸人のように芸を見せながら気ままに日本国中を歩き、一生を終えた人も多いのだろう。

このほかにも、芸人でなくても見知らぬ地に放浪し、そこに定住した人もあり「法院様」などとよばれる事もあったようだ。

そういえば徳川(松平)家の祖と言われる松平親氏(ちかうじ)は、元は時宗の僧で、松平郷の領主松平太郎左衛門少尉信重の娘婿となってその名跡を継ぎ松平親氏を名乗ったとも言われますから、あちらこちらを放浪し多くの見聞と知識を持つこうした人たちは、土地に縛られて生活していた人たちにとっては、とても偉大な人に見えた事は想像に難くありません。

しかしインターネットが当たり前になった現代人からすれば、見聞の広さは比べようがないでしょうが、それでも人の心を動かすような知識とか智慧という点では、今も昔も変わらず、その人に拠るのでしょうね。旅をしさえすれば皆一様に偉大な人になれるわけではないのですから・・・。