藤川宿を東西に横断する国道一号線の脇に、ひっそりと建つお寺があります。あまりにも規模が小さいので、地元に住んでいながら忘れられがちなのですが、実は今でもしっかりと地元(市場)の人たちの間で守り続けられています。

今年も11月23日(祝日)午前10時から「阿弥陀寺大祭」が行われるという情報を得ましたので、お知らせしたいと思います。
甘酒が振舞われるそうですので、ご縁を感じられる方は、お参りください。

そこで、市場町文化財保存の会により岡崎市政100周年の折に出版された「加宿 市場の歴史と文化財」より「阿弥陀寺」についての文章をご紹介させていただきたいと思います。

阿弥陀寺(藤川教会)

明治の廃物毀釈の難に遭い寺として扱いが受けられず、廃仏で砕く話も出たが勿体ないとの意見から白馬山藤川教会として仏教の普及と人の道を説く場所の教会として以来町民に親しまれ守られて来ましたが、細かい由緒も不明確であるが、江戸中期に現夏山町に在ったが、山崩れに遭い何の縁(ゆかり)があって当町に鎮座かは不明である。
しかし云い伝えによれば天台宗であったが、いつ転宗したかについては不明である。
以後は浄土宗に帰依し現在は浄土宗西山深草派に属している。
最後の住職(当町出身) の畔柳誠善尼の話によれば、前述の如く現に夏山には藪と化した阿弥陀寺屋敷跡が残っていると当時申された(約五十年前)。

 

 

本尊阿弥陀如来像は非常に珍しく張り子製であり貴重な佛像であり大切に保存し永く崇拝したく思います。
隣接の小棟には谷汲観音様が、江戸中期寛政時代流行(はやり)病除けとして濃州谷汲より勧請したと伝える。
地元でも知られたあらたかな仏さまです。※昔から小さな構えながら、寺、歴代住職の信望も厚く繁栄し盛んな時代には尼僧が五人も住み繁栄のなか昭和十五年夏、尼僧が食中毒に患り二人死者が出るという不運に遭い以来序々に寂しくなり無住となったが、昭和二十九年地元出身で阿弥陀寺で修行し地方で住職を務めていた畔柳誠善尼を再び迎え繁栄を願ったが、昭和四八年九月十一日徳性寺前の国道一号線で不慮の事故に遭い死去、以来無住となる。
現在は、寺の規模も小さくなり残念です、是非由緒ある寺ですので復興を望み再興を図りたく思います。※また当寺には大正六年完成を見た立派な宝篋印塔があり、当時の繁栄振りがうかがわれます。

藤川宿の各寺には、近辺に見られない立派な宝篋印塔、経塔がありますがこれも明治中期から観光事業を図るための一環として各寺院の「縁故者(ゆかりの方々)」の協力で造られた塔です。