おんな城主直虎での元康の甲冑
この題字、TVで見ている時は、てっきり女性の作品だと思い込んでましたが、NHKのサイトで紹介されているニュースに1977年 岡山県生まれのMaaya Wakasugiさんという男性であることを知りました。
いやぁ~!主人公が女性だし、文字を見ても「なんとなく」ですが女性が書いたとばかり思ってました。(^^ゞ
大変失礼いたしました。
ところで、昨週の回「第8回あかちゃんはまだか」の後半で、後の徳川家康である松平元康が織田との戦に出陣する際に瀬名姫に甲冑を着せてもらっているシーンがありました。
その時にも「あれ?!もしかしたら」と思ったのですが、改めて確認してみたら少し前に紹介させていただいた「久能山での甲冑修復のためのクラウドファンディング」の甲冑にそっくりなことが分かりました。
家康公よろい「白檀塗(びゃくだんぬり)具足」
この甲冑は、元康(家康)が今川軍の一員として織田との戦いに出た永禄3年(1560)に着用した「金陀美具足(きんだみぐそく)」の「召し替え用」なのだそうです。だから形もそっくりなんだと思います。
うしろに立っているのは元康の正室である瀬名姫(奈々緒)、後の築山御前ですね。歴史を知っているものにとっては複雑なシーンですが、この時は仲睦まじい夫婦ですね。(*^_^*)
ほらっ!甲冑の色形そっくりじゃないですか?!
アップの画像だともっとよく分かります。
瀬名姫の尻に敷かれる元康(阿部サダヲ)って感じがよく出てますね(^_^;)
井伊家と関係のある瀬名姫が元康の正室になったことで、後に井伊家が徳川家に仕えるようになった下地ができたとも言えますが、この時には想像もしない事だったでしょう。
なお、「金陀美具足」も、その召し替え用の「白檀塗具足」も身長159㎝だったと言われる元康(家康)にサイズを合わせて作られているようです。
この今川軍と織田軍の戦いは、あまりにも「桶狭間の戦い」が有名ですが、元康は桶狭間には行っていなくって、織田軍に周りを囲まれて糧道を断たれ困っていた丸根砦へ糧食を届けるのが一番の任務だったようです。
それにしても、この時期に元康というか松平家は、これだけ立派な甲冑を元康に準備するのは大変だったろうなと思います。いくら今川家と関係のある関口氏の娘(瀬名姫)を正室として娶ったとはいえ、財政的に裕福であるはずがなく、資金繰り大変だったんだろうな、と思います。
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こうして地図で見ると桶狭間より丸根砦の方が、ずっと織田勢の中に入ったところだという事が分かりますね。
今夜は「第9回 桶狭間に死す」が放映されますね。元康が、どんなふうに描かれるのか楽しみです。