大久保彦左衛門。とても有名な人物ですが、「三河物語」という文献までは、ご存じない方もいらっしゃるようです。

先日、ある方とお話をしていた時、「三河地区で歴史的に有名な人は?」という話題になりました。徳川家康は例外として誰がいるだろうかという中で、この「三河物語って読んだことある?」と聞かれて、「宮城谷さんが書かれた新・三河物語は読ませてもらって、とても面白かったです」と答えたところ、「あれは良く書かれてるけど、やはり現代人の目から見た歴史だから、三河物語の原本を読んだ方がいいよ。すごく面白いから」と勧められました。
といっても本当の原本など難しくって読めないでしょう!と思うのですが、「現代語訳」が有るということを教えていただきました。

現代語訳になっていれば読めそうだなと思い、なんとか手に入れてみて数日前から読み始めています。

この中で「藤川」が登場する場面が有ったので、ご紹介させていただきます。

時代は、竹千代(家康)が人質として今川氏に向かう途中で、織田氏に売られてしまった後の事です。

—–

今川殿がいわれるには、広忠より人質がきたが、かたわらから盗みとられて、敵方に売られてしまったことはいたしかたない。そのうえでなお、織田方と組まないことで侍の義理がよくわかった。このうえは広忠を助けて加勢しよう」と臨済宗の雪斎長老に命じて、駿河・遠江・東三河三国の兵を集めて加勢する。雪斎は駿府を立ち、藤枝に着く。翌日、藤枝をたって、大井川、小夜の山を越え、懸河に陣をとる。翌日、懸河を出発。袋井、見付、天竜川を越え、その日は引馬に陣をとる。翌日、引馬を出発、二手に分かれて、今切と本坂を越えて吉田に陣をとる。吉田を出発、下地之御位、小坂井、御油、赤坂をすぎ、山中、藤河に陣をとる」

この最後「藤河」が今の「藤川」ですね。

そして小豆坂の合戦として

—–

弾正之忠(織田信秀)は駿河衆が出陣したことを聞いて、清州の城を出発、翌日は笠寺、鳴海に陣をとる。翌日は笠寺を出発、安城に着き、そこより矢作川の下之瀬を越えて、上和田の砦にうつる。翌日は馬頭之原へ押しだして、敵とあい対そうと上和田を夜明け前に出発する。藤河と上和田のあいだは一里ある。

—–

西から攻める織田軍は「上和田」に、東からは今川軍が「藤河」に陣をとって、多くの命が失われた小豆坂の合戦が行われたことが分かります。(松平氏は今川軍として戦っています)

※参照文献
教育社新書<原本現代訳> 三河徳川家の歴史 三河物語(上) 大久保彦左衛門原著・小林賢章 訳

 

どうぞ、こちらもご覧くださいませ