明大寺のゆかりについて
これは藤川には直接関係のない話ですが、以前から気になっていた事で、岡崎の中心部にある明大寺町の名前のゆかりについて書いてみたいと思います。
と申しますのは、以前から明大寺町近辺にお住まいの方にお目にかかると、「明大寺町って、明大寺という、お寺の名前の町名なのに、何故か「明大寺」というお寺がないのは、どうしてなんでしょうか?」とお聞きしていたのですが、わざわざ調べて教えてくださった方があったのです。ありがとうございます。これで長年の(?)謎が解けました。
さて、答えは「新編岡崎市史」にありました。(さすが!)
次のように記載されています。
明大寺村
現・岡崎市明大寺町・吹矢町
乙川の矢作川への合流点に近い南岸台地上に位置し、西は久後村・六名村・南は戸崎村。古くは「妙大寺」と記した。上明大寺の辺りは古く高宮郷・高宮村とも称した。大部分を占める丘陵地は近来住宅地化しているが、古墳時代後期の古墳数十基が確認されている。明応二年(1493)四月一二日付の妙大寺彦右衛門宛松平光重屋敷宛行状(大竹家文書、現在亡失)に「光林寺屋敷為替地、妙大寺本成就院之屋敷出置者也」とあるのが「妙大寺」の初見。また成就院縁起(成就院蔵)は、この地に伝わる浄瑠璃姫伝承にちなんで、「義経公(中略)浄瑠璃御前追善ノ為伽藍ヲ御建立アリ、則妙大寺ト号セリ。其伽藍モ数度ノ烽燧ニ烏有トナリ、名ノミ郷名ニ残リテ明大寺ト云ヘリ」と伝える。昭和三〇年(1955)頃、竜海院南の三島山から中世の骨壺が発掘されたことがある。また安心院の本尊十一面観音は、旧妙大寺の本尊とも伝えているので、妙大寺と称する寺院がかつて存在したものであろう。
ちょっと難しい文章ですが、昔は「妙大寺」と書いて「みょうだいじ」が有ったけど、今は名前だけが「明大寺」として書き方は変わったけど残っている。そして本尊だった十一面観音像が、今は安心院の本尊となっている。そして浄瑠璃姫の追善供養のために建立されたが、何度も消失してしまって、今は存在しない。ということのようです。
[su_gmap wide=”yes” height=”430″ responsive=”yes” address=”岡崎市明大寺町字馬場東54 安心院”]
[su_gmap wide=”yes” height=”430″ responsive=”yes” address=”岡崎市吹矢町96 成就院”]
地図で確認すると安心院と成就院は近くにあることが分かりますね。
岡崎の住人でも浄瑠璃姫のことを知らない人もいるくらいですが、明大寺という地名を知らない人はいない位の町名です。
その町名が浄瑠璃姫とのゆかりも有ったなんて驚きでした。さらに義経が建立した寺だったなんて!もっと驚きました。
私も気になり過去妙大寺と浄瑠璃姫伝説を巡ってみました
安心院の御本尊は十一面観世音菩薩でありその御本尊尊像は義経公の念持仏であったと伝えられています
私のつたない記事のURLを貼っておきます
せきあ さん、こんにちは、いつもコメントありがとうございます。
少し春らしさがやってきて、お出かけするのには良い気候になりましたね。
妙大寺の件、ご存じだったんですね!
それに十一面観音像がなんと義経公の念持仏とはさらに驚きです。
ところで噂話で聞いたのですが、浄瑠璃姫が身投げされたという菅生川に面する岩が、取り除かれたというのですが、お聞きになっていますか?
真贋の程は分からないのですが、そんなことを言っていた人が有ったので、気になっています。
では、また。
菅生川に面する岩が、取り除かれたという話は僕の記事に書きましたがそのことでしょうか?
成就院対岸に高岩弁財天があり関係があると思っています
その記事のURLを貼っておきます
せきあ さん、こんにちは。
> 菅生川に面する岩が、取り除かれたという話は僕の記事に書きましたが
という部分を探したのですが、見つけられなくて時間が経ってしまいました。
申し訳ありませんが、もう一度教えていただけないでしょうか。
よろしくお願いいたします。