関山神社の由来を書いた後、京都の赤山禅院に電話をかけました。
本当はメールで問い合わせようとしたのですが、アドレスの表記が無くて、連絡先として電話番号が見つけられたので、思い切ってかけてみました。

「愛知県岡崎市藤川という所の歴史を調べていて、村の鎮守である関山神社の由来が、赤山禅院さんにあるようなので、教えていただけることが有ればと思いまして・・・」と切り出すと、「そうらしいですねぇ!」と、この藤川に赤山大明神が祀られていることを既にご存知でした。

日本国内で他に赤山大明神が祀られている所がなかなか見つからなかったので、何か特別な理由でも聞けたらいいなと思ったのですが、さすがにそこまでの情報は無いようでした。
ただし、やはり勝手に勧請してお祀りすることは無いはずなので、それなりの権力者が勧請されたのではないかということ。
他に勧請された所が有ったとしても、名前を変えてしまって分からなくなっている可能性がある事を教えていただきました。
因みに「大山咋(おおやまぐい)」、「日吉神社」などの名前に変わっていることが多いのだそうです。いずれも赤山大明神(泰山府君)が名前を変えて残っていることが多いのだそうです。
また、泰山府君が陰陽道の祖神である事から「安倍清明」の名前も出てきて、「映画 陰陽師」で出てきた死んだ人間を蘇えらせる「泰山府君祭」と同じでしょうが、反魂(はんごん)の術についても少し触れておられました。その為に、人の命・延命・長寿という事にご縁のある神様であるという事でお祀りされるところが多いのだとも思われます。

赤山大明神の元宮から南西の方角に「藤川城」が有ったらしいとお話しすると、「そうなのかもしれませんね」と言われましたが、赤山禅院さんにも当時の資料は残っていないようで、「何時・誰によって勧請されたかは分からない」とのご返事でした。「藤川城の日誌のようなものがあれば、そこに載っているかもしれませんよ」と言われたので今度は市役所に電話して、そうした資料についてどこで調べたらよいか聞きましたら、教育委員会へ電話を回してくれました。

この時代の城址関係については「愛知県 中世城館跡調査報告Ⅱ」というのが西三河地区のお城についての報告書だそうです。岡崎市図書館りぶら には蔵書されているようなので、機会が有れば閲覧しに行きたいと思っています。

ところで当時の藤川城は内藤家長が城主との情報はネット上で見かけるのですが、歴女ブームが原因かどうか分かりませんが、こんな画像がネットでは公開されています。

内藤家長 ienaga-2これが内藤家長?!

って驚いてはいけませんね。(^_^;)

藤川城の主だったと思われる人が、こうした形でネット上でも話題の一部になるという事は、すごい事だと思います。

 

 

 

そこでふと思いついたのが「なぜ藤川に城が有ったのか?」という点です。
内藤家長が築城したのだとしてもなぜ藤川だったのでしょうか?
(もちろん東隣になる山中町には、藤川よりもっと大きな城が有ったことは知っています。)


尾張方面から東を見た時、ちょうど藤川の辺りで山が迫っていて、藤川を通らなければ南下して幸田・蒲郡へ抜けるか、ずっと北上していくしかないことが分かります。
藤川に城が有れば、竜泉寺方面から敵が来た場合も対応が楽です。(竜泉寺・桑谷に一山で抜けられる)
この権現山辺りに城を築くことは、それだけ守るのに都合がよいという事になります。

ちょっと纏まりのない記事になってしまいましたが、少しづつ見えてきたことを散文的に書いています。

最後になりましたが、丁寧にお話し下さった赤山禅院の方に感謝申し上げます。(お名前をお聞きしなかったのですが、いきなりかかってきた電話にもかかわらず丁寧にお応えいただきました。(*^_^*) )

 

 

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