この写真は藤川宿資料館として多くの方が訪れる江戸時代の風情を多く残した場所です。

この門は、江戸時代の大火後に再建されたものを修復して現在に至っているものです。

既にこの通りを大型トラックが通れなくなってから久しいのですが、昔は国道1号線の混雑を迂回して、この旧道を通る車・トラックが良く見られました。そうしたトラックのうち、大型の物だと荷台の高さが3メーター位はあるのでしょうか、なんどもこの門の廂に当たって壊して行ったものです。

地元の人間だけではどうにもならず、当時の総代さん方のご尽力があったと思うのですが、大型トラックは通行禁止になり、こうした被害は無くなったように思います。

さて、この門の奥には現在、資料館として藤川宿のジオラマなどが置いてあったり、宿場を訪れる方々のランドマーク的な意味を持っているのですが、昔ここには藤川村役場が有りました。

建物はもっと古く、子どもの頃の記憶なので、どんな形なのか定かではありませんが、この村役場前の狭い庭が、子供にとっては良い遊び場になっていました。

門を入ってすぐ右側に樹木が見えるでしょうか?

少し左側から撮影したこの写真なら、はっきりと見えますね。

植物系は苦手で、なんという木なのか分かりませんが、ずいぶん古いというか幹も裂けていて、年代を感じさせてくれます。

 

 

雷でも落ちて幹の一部が焼けてしまったようにも見えますが、いつ頃からこんな風になったのか定かではありません。

下から仰ぎ見るとこんな感じで、てっぺんまで削げ落ちているようです。

いま大人になってこの場に立ってみると、「こんな狭い所で、よく遊んでいたものだなぁ」と不思議な気持ちになるのですが、実はこの木、それだけではなくて大きな思い出の木でもあるのです。

それは、まだ小学校に入っていたか保育園児だったかも思い出せないような頃、近所の年上の男の子達に遊んでもらった思い出がよみがえるのですが、その内の一人が、夏の炎天、この木を中心にぐるぐる回って遊んでいる内に倒れてしまい、そのまま亡くなってしまったことが有るのです。

当時は子供のこととて、「日本脳炎だったらしい」とか「目が回って転んだ時に頭をどこかにぶつけたんじゃないか」など、噂しか覚えていなかったのですが、つい先日、5~6年上のご近所さんとお話ししている時に、たまたまこの話になり、「心臓が悪かったらしいねぇ」と教えていただきました。それともう一つ、この亡くなった男の子の名前、思い違いで間違って覚えていました。子どもの頃の記憶だから仕方ないかもしれないけど、ずっと忘れていた名前と、その子の家の事も思い出せました。

想えばあの頃は皆貧しかったなぁ。

靴下やズボンに「つぎあて」なんて当たり前だったし、家だって隙間風ビュービューで冬は寒かったはずです。

でも、子どもの頃、自分の家が寒くって困ったとか、「あの子の家は暖かそうだなぁ」なんて思ったこともなかった。

みんな貧しくって、それが当たり前だったから、貧しいとも思わなかっただけかもしれませんが、そんなことを思いださせてくれる”この木”でした。