高札の不思議と今日のむらさき麦

むらさき麦 2016-03-06今朝はとても暖かい朝を迎えました。
室温を見ると15℃位あって、暖房は不要でした。昨日は5℃位しかなかったので一日で10℃も上がったことになります。
これだけ寒暖の差が有ると自律神経が追いつかないというか、寝起きの体のだるさは堪えます。(^_^;)

さて、これだけの暖かい朝なら「むらさき麦」もさぞや大きく成長しているだろうと、久しぶりに見に行ってきました。

ご覧の通り、しっかりとたくましく成長していました!!(^^)!

今年も藤川小学校の生徒が麦踏みに来ていたはずだと思いながら、確認できずじまいなのが残念でしたが、ちゃんと成長している姿を見ると、麦踏みもしっかりやってくれたのだなぁと想像できますね。

むらさき麦 2016-03-06少しアップで撮影すると、こんな感じです。

むらさき麦まつりまで2か月。これから、ぐんぐんと背が伸びてくるのでしょうね。

 

 

 

 

ところでこの写真を撮った「藤川宿本陣跡広場」には「高札」が再現されています。
六枚の高札がかかっているのですが、書かれている文章までじっくり読んだことが有りませんでした。(^_^;)

藤川宿本陣跡広場 高札このように六枚の高札が懸かっているのですが、「あれっ!?」と気づいたことが有りました。

それは六枚とも布令された日付が「正徳五年五月」なんです!

てっきり、それぞれが異なる時に布令されたものだと思っていましたから、同じ時に出された布令だとは思ってもみませんでした。

まぁ思い込みではあるのですが、同じ月に六枚も異なる布令が出されたというのは何か特別の事でもあったのか、当時はこうしたものだったのか興味は尽きません。

正徳というのは元年(1710)から六年(1716)まであるものの実質五年間という短い年号です。

この前後には、元禄15年(1702) の赤穂浪士討ち入りとか、宝永4年(1707)富士山噴火、享保3年(1718)御蔭参り流行などがありました。

世の中は中御門天皇の御代。将軍家は6代徳川家宣(1709~1712)から7代家継(1713~1716)と激しく移り変わっている時期ですね。それにしても、いくら人々の寿命が短かった時代とはいえ、中御門天皇6年間、徳川家宣4年間、徳川家継4年間と短すぎる交代劇ですね。

徳川将軍家では、この後が「暴れん坊将軍」で有名な8代吉宗ですが、この時代には新井白石の「正徳の治」とか吉宗の「享保の改革」などがあって、安定した徳川時代にあっても時代が多きく変化した時代だったようです。

高札の内容については、またじっくりと考察してみたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です